2011年01月29日
2011年01月28日
熨斗目柄・日本刺繍
写真は 袋帯 熨斗目柄。古典柄で、おめでたい柄行です。
留袖にも着られます。熨斗目柄の 似た柄はあっても 色も 柄も他にはない
世界に一つだけの・・・帯です。
お嫁入りしましたが 気に入っていただき とっても嬉しいです。
2011年01月28日
2011年01月27日
2011年01月26日
開始
なかなか 腰の重い私。
東京に出す 作品に 取りかかれない・・・。
でもでも やっと、やっと、 go です。
生みの苦しみ〜〜〜〜。
そんな 大そうなことでもないのですが・・・。
どんなものが出来上がるのかな???
楽しみです。
この子は 前飼っていた 『うさ』・・・まさしく うさ・ぎちゃん。
東京に出す 作品に 取りかかれない・・・。
でもでも やっと、やっと、 go です。
生みの苦しみ〜〜〜〜。
そんな 大そうなことでもないのですが・・・。
どんなものが出来上がるのかな???
楽しみです。
この子は 前飼っていた 『うさ』・・・まさしく うさ・ぎちゃん。
2011年01月25日
2011年01月23日
2011年01月23日
2011年01月22日
2011年01月21日
さくらんぼ 日本刺繍
なんか 急にさくらんぼが 食べたくなっちゃった。
これも お客様のところに・・・
今日は 用事があって久しぶりに 磐田の大正倉さんに 行ってきました。
酒屋の 1階にアンティークがいっぱい
可愛い小鉢があったので いただいてきました。
濃いお茶をいただくのもいいかな。
2011年01月20日
2011年01月20日
竹の丸
掛川城近く 竹の丸の貸しギャラリーを見に行ってきました。
静かな たたずまいでした。
ここにいると ゆっくり 時間が過ぎていきますね。
ここ1.2月は 少し人の入りが少ないとか。
桜のじきが楽しみですね。
2011年01月19日
梅 日本刺繍
五十三次も毎日では・・・・。
今夜は私の作品を載せます。
染も自己流 フランス刺繍をしていらっしゃる方が
個展をされて 染が入り そこに刺繍が・・・。
絵画的で とっても素敵でした。
すぐ、あつかましく お願いして 手ほどきを・・・
その方は 快くお家に呼んで下さり
いろんな話を伺い ・・・色んなことを 教えてくださった。
今あるのも その方の 優しさのおかげです。
日本刺繍の お師匠さんは 小橋先生。
染のお師匠さんは その方です。
平面的なの日本刺繍を 立体に広げてくださいました。
ありがとうございます。
2011年01月18日
東海道五十三次
東海道五十三次を5枚ずつ アップしています。
私の子供のころは まだ旧東海道が舗装もされずに でこぼこ道で 松並木が
続いていたのを 記憶しています。
小学校の時は まだ そんな道を登下校していたようにも・・・。
歳がばれてしまう・・・かな???
お好きな景色はありますか?
2011年01月18日
2011年01月18日
横須賀 半ちゃん・元気
横須賀の半ちゃんの家と 以前飼っていた はなが産んだ子供たちの
中のチビ【今は命名・元気君】に会いに行きました。
私のことは すっかり 忘れているようで
しっかり番犬をしていました。
2人共(いやいや1人と1匹です)元気そうで
嬉しかったです。また来ま~~~す。
下の写真はチビが赤ちゃんだった頃。
孫に会いに行った お婆ちゃん?の気分。
2011年01月16日
東海道五十三次
安藤広重
歌川広重 - Wikipedia江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが、現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。 ...
「東海道五拾三次」を描いた安藤広重はどういう人ですか?
安藤広重は寛政9年(1797)江戸八重州河岸に生まれました。年少で両親を亡くすと家督を相続し火消同人職につきます。その職にありながら15歳で歌川豊広に入門、浮世絵を学び始めます。そして27歳の時に火消同人を引退し、浮世絵師として独立します。
天保3年(1832)36歳の夏に、徳川幕府が朝廷へ駿馬を献上する年中行事である「八朔御馬献上」の行列に参加します。翌年、このときの写生と印象をもとに「東海道五拾三次」を描き、一躍世に認められることになるわけです。このときの版元は保永堂というところでした。そのためこのシリーズは保永堂版と称されています。広重はその後も次々と東海道シリーズを発表しましたが、保永堂版を超える作品はできなかったといわれています。
他に、「木曾街道六十九次」「近江八景」「名所江戸百景」など、諸国名所絵、江戸名所絵など多くの名作を残しました。
歌川広重 - Wikipedia江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが、現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。 ...
「東海道五拾三次」を描いた安藤広重はどういう人ですか?
安藤広重は寛政9年(1797)江戸八重州河岸に生まれました。年少で両親を亡くすと家督を相続し火消同人職につきます。その職にありながら15歳で歌川豊広に入門、浮世絵を学び始めます。そして27歳の時に火消同人を引退し、浮世絵師として独立します。
天保3年(1832)36歳の夏に、徳川幕府が朝廷へ駿馬を献上する年中行事である「八朔御馬献上」の行列に参加します。翌年、このときの写生と印象をもとに「東海道五拾三次」を描き、一躍世に認められることになるわけです。このときの版元は保永堂というところでした。そのためこのシリーズは保永堂版と称されています。広重はその後も次々と東海道シリーズを発表しましたが、保永堂版を超える作品はできなかったといわれています。
他に、「木曾街道六十九次」「近江八景」「名所江戸百景」など、諸国名所絵、江戸名所絵など多くの名作を残しました。
2011年01月16日
2011年01月16日
2011年01月16日
第一美術協会 展示風景
この写真は
私が所属している 第一美術協会の
毎年行われる 公募展の会場風景です。
全国から 絵画・彫刻・工芸等 が出品され
その中から 入選されて方が 展示されます。
場所は 六本木にある国立新美術館です。
去年5月に行われた 展示会が81回になります。
去年は 『優しい時間』を出展し
「準会員優秀賞」をいただきました。